ほぼ半額になったセールに乗じて買ったKindle Paperwhiteが、2ヶ月経ってやっとこの前届いた。
本当に欲しい本は本屋で買いたい方なんだけど、でもなんか読みたいなあということで適当に見つけた「老人と海」を読んだりしていた。
孤独の物語だなあと思った。イルカとか小鳥とか魚とかがいるんだから老人は孤独じゃないとかあるみたいなんけど、そういったことも含めて圧倒的な孤独でしょ、って思った。それがよかった。
昨日Yと会って焼肉を食べたりしたのだけど、その時にたまたまテレビを見た話をした。
それはお笑い芸人の人たちが思い出の曲をカラオケで歌うという番組だったのだけど、その選曲は自分が10代から20代頃に聞いていた曲ばっかりで、それを見て、あ、これは自分たちに向けた番組なんだ、って思った。
それはなんか、親より上の世代が演歌とかフォークソングとかの懐メロ番組を見て「なつかしいわねえ」って言うのと全く同じで、そのことに気付くと本当に愕然としてしまった。
まだ40代なのにもうテレビ見て昔を懐かしがって、残滓を噛み締めて生きていくのかよって思うとなんだか絶望的な気持ちになるのだった。
まあでも同時に思ったのは、テレビって、自分たちの世代で終了なんだな、ってことでもあったのだけど。
自分は、弱い立場に置かれている人間を利用して金儲けをするような人間のことが本当に心から嫌いなのだけど、件のYouTuberが路上生活をしている人たちに対して害があるから殺すとか言って煽っていたというやつをTwitterで見てしまって以来、とても心が苦しくて辛くて仕方がない。
耐え難いような怒りを感じながらここのところずっと過ごしている。
話は少しずれるようだけど、今年になってからも田中邦衛とか立花隆とか、時代を象徴するような人たちが鬼籍に入ってて、これからもそういったことが必然的に起こり続けるんだろうなと思う。
じゃあさ、自分たちの「団塊ジュニア」とか「失われた」とかいう世代を象徴する人間って誰なんだろうとかよく考える。
もしかしたらテレビ的な共有体験が失われていくのと同時に、大きな立場を代表するような人間なんてものは消えていくのかもしれない。
でも少なくとも堀江貴文とかひろゆきみたいな人間が自分たちを代表するなんて本当に勘弁してほしいなあとかと思う。じゃあ山本太郎とか?
どうして僕らの世代はなけなしの金をそんな詐欺師に投じることでしか夢を見ることができなくなってしまったんだろうなあ、とか時々悲しい気持ちになったりもする。
山本太郎は詐欺師ではないけれど、誰かに「オレたちの〇〇」とか名付けて勝手に思いを投影するようなことから自分たちが抜け出せなかったら同じだと思う。
それでも僕はまだ現在をどうにもできないとは思いたくなくて、じゃあなにをどうすんだよ、ってことを未だにずっと考え続けている。
この間突然興味が湧いたので、エフィリストとかアンチナタリストについて調べていたんだけど、生きていくという苦しみを自分はもう継承しない、ということに関しては、共感しないこともなかったりした。
そういった立場を取る人には怒られそうだけど、ジェンダーに対する考え方に始まり、長い年月をかけて社会に固定化されてきた差別と偏見を、自分だけは絶対に継承したくない、と思うようなことは、そんな主義ともそんなに遠くないんじゃないかなとかも、思ったりするのだった。
とか言いながらも自分の無自覚な差別性にちゃんと向き合っているんだろうか、とか、本当に調子の悪い時には一人でぐるぐる考えてしまうから駄目だ。
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