うさぎ式読書日記240226

朝の寝起きがとても悪く、睡眠時間は十分だというのに鈍い頭痛がした。

精神不安のまま寝るとこういった朝になる。

いつもと同じようにこれを逃したら遅刻するという時間の電車に乗り、隣駅の改札前のコンビニで昼飯を買う。

早歩きで急いで、停まっていた会社の送迎バスに乗り込む。

朝礼で給与明細をもらう。少なすぎてなにかの間違いじゃないかと同僚と言い合う。

日中はいつものようだけどあまり能率も上がらない。それでもなんとか進める。

同じ部屋にいる違う部署の女達がまた先週に「あいつホモかと思ったけど結婚してるなんて意外やったな」とか患者のことを言っていて、もうそいつらの声を聞くだけで吐き気がするのだけど、隣の席の上司も会議でおらず、部屋の中の話し声がよく聞こえて耐え難かった。

昼休みに隣の部署の休憩場所に行ってコーヒーを分けてもらう。なんとなく雰囲気が良くなかったけど気の利いたことも言えず、逆になんか落ち込んでいるのだという別に誰も聞きたくないような話を思わずしてしまって、さらに落ち込んだ。

午後はオンラインの打合せをして、ずっとこうやってイヤホンをして仕事をしたいとか、また思った。

行きたいと思っていた京都でやっている羽良多平吉の個展に行くことを日曜日にすっかり忘れていて、なんとか休みを取れないかと考えていて、結局最終日の朝一から京都に行って、そのあと取って返して午後から出勤することにした。上司に半日の申請をしてOKをもらう。

午後にも、違う人にちょっと落ち込んでいて、とか言ってしまう。


そこまで残業もしないで会社を出て、バス停までの道を歩いているときに、あらゆる人に落ち込んでいるとか元気がないとか言いまくっている自分はすごく惨めな人間だなとか思った。

石川啄木の短歌「『石川はふびんな奴だ。』 ときにかう自分で言ひて、 かなしみてみる。」を思い出す。

家までの帰り道でも色々と考えていて、もしかしたら自分はもうこのままなのかもしれない、とか、そんなのやだな、とか思う。最近はそのことばかり考える。これが「未来がほしい」ということなんだったら、その未来を選ばなかったのは自分なんじゃないかとか、そんなことを思ったりもする。

なにも作る気になれないのでコンビニで食べるものを買って家に帰ると、玄関のドアの向こう側で猫が鳴きながら待ち構えていて、家に入ると足の間に挟まって体をこすりつけながらずっとついてきたり、すごく鳴いたり床を転がったり足に噛りついてきたりする。

最近イラストレーター(や漫画家・絵本作家など)のながしまひろみが猫を飼い始めて、その猫の家での様子をイラストにして連続で投稿している。

それがすごく可愛くて、InstagramやThreadsを見ている人全員が楽しみにしているんじゃないかというくらいの感じなのだけど、それはたぶん、大人になってから、しかも初めて猫を買う、という貴重な体験をみんなが温かく見守っている、ということもあるのかもしれない。

ながしまひろみだけじゃなくて、自分くらいの年齢で猫を飼っている人間は、みんな猫が死ぬまで自分も死ねないと思う。

それは、飼い始めた生き物に対して最後まで責任を負う、ということなのだけど、今日はなんか、猫のために生きる、ねえ、とかずっと考えていた。

でも、こうやって自分が帰ってきただけで大喜びして飼い主を好きだという態度を爆発させている猫を見ると、これだけで本当に嬉しいことなんだなあとかまた色々と考えるんだった。

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