うさぎ式読書日記240218

なにかを書きたいと思うんだけど、ここのところずっと自分の表現することすべてがどうしようもなくくだらないと思ってしまう病気に罹っているのでなかなかままならない。

先週は39度近くの熱を出して仕事を3日間休んだ。

職場から検査しろと言われてとても辛いのに2日間連続で病院で受診して、血液検査のうえに肺炎の疑いもあるってんでCTも撮られたあげく、コロナでもインフルエンザでもなく、細菌かウイルスかどちらかもわからないという。

そのあと幸運にも連休が来て、ずっと家の中で過ごした。

掃除とか洗濯とか、引っ越し以来できていなかった本の整理なんかもしていたら、心身ともにちょっと落ち着いてきたようだった。

そんな休み明けで出勤して、やることばかりでかなり忙しく、気持ちも忙しくなりながらだったんだけど、残業帯に数歳年上の上司と、同室の違う部署の人達が雑談をしていた。

今日は娘の私学受験で、という話をしていて、私学の助成は来年からだしなんとか公立に行ってくれたらいいんだけど、とか、うちも下の子が受験だけど全然慌ててなくて、とか、まあそんな話をずっと横で聞いていた。

前にいた部署でもそうだったんだけど、今の部屋でも考えてみればみんなが結婚していて(またはかつて結婚していて)子供もいて、という人達だった。

それは全く微笑ましく、悪気もなく、人を傷つける要素なんて一切含まれていないような会話だったのだけど、みんながそういった会話をしているのを聞いていたら、強い疎外感とともにものすごく気持ちが落ち込んできて耐え難くなって、仕事が手につかなくなって、すぐにでもこの場所から逃げ出したいと思った。

帰り道でも更に落ち込んでしまい、もういやだと思いながらも一体なにがそんなに自分を落ち込ませたんだろうとずっと考えてもいた。

これまでだってそんな環境だったし、自分も全く共感できない他人の子供や配偶者の人の話なんかを聞きながらコメントまでしちゃったりして、ってことでやってきたのに。

そんな会社ばかりではないんだろうけど、弊社(嫌味)はまあずっと、就職して結婚して子供ができて、子供のことで悩んで、孫ができて、みたいな人がかなり多い、多分そこは恵まれた職場環境だ。


その人の家庭でなにがあったとしても、仕事の話だけ真面目にしていればいいのが会社の良いところだ。職場での話っていうのは、きっとそんな家庭とは離れた環境の中で、また違う人間関係とか自分でいられるような場所なのかもしれないとも思う。

思い返してみれば自分は以前から、男女問わずにそういった人の家庭以外の別の世界を担ったり、尊重してあげるような役割をしてきたような気もする。

でもやっぱりこういった会話になった時には全く話が合わないし、そこにいるだけで多数派の人達に変に気を使わせるしで、途端に辛くなってしまう。

そうやって自分はいつも変わらない同じ場所にいることを商売のようにして、職場では普通に楽しく会話したりするけれど、周りの人間達は人生ゲームのコマを順調に前に進めていく。

人生はある程度は自分の選択によって今に至るわけで、家庭を持つ多数派の人達が不遜だって訳はないし、逆に自分が怠惰だったという訳でもないと思う。

そう、誰も悪くない中でただ今がこうである、という話をしているだけ。

だったらなんで、自分が深く傷ついてしまうんだろう。

そんなことを言いながらも、もしかしたら家庭ある人に嫉妬しているんだろうか。それとも社会一般の家庭像から逸脱していることを、自分の潜在的に保守的な倫理観から卑下してしまっているんだろうか、とか考える。

自分はすごく好きな人がいても、家庭を持ちたいなどとあんまり思うことができなかったから、色々なことがあっても今は1人で暮らしている。望んでいるのに結婚できない、というのとはちょっと違う、と思う。そんな自分を恥ずかしいとも思わない。

でも、それって本当に? とずっと自問していて、でも本当にそうなんだけどな、と思ったりしながら、過去に何度かあったいわゆる多数派になることができたチャンスのことを思い返していたりするんだった。

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