たまに友人とヤマシタトモコの「違国日記」の話をする。
両親を事故で亡くし、作家の叔母に引き取られた主人公の朝は、いつの間にか高校2年生になって、第1話の冒頭で描かれた自分を追い越していってしまった。
朝は知らない間に目標を見つけていた同級生の姿を見ながら、私にはなにもない、って思う。
同級生は医者を目指したり、実は漫画家になりたかったり、恋人と同じ大学に行きたいと思っていたり、それぞれがなにも考えていないように見えて、なにかを見つけてそこに行こうとしている。
そんなことを自分と重ね合わせて話す友人の話を聞いていて、それが社会的なもの(に向かっていく希望)なのか、それとも孤独な豊穣に向かっていくものなのかまだあまり峻別されていないような気もして、それはまさに朝みたいだなと思って聞いていた。
そしてまあ自分も、こんな年齢になるまでそんな自問を繰り返しながら生きてきてしまって、(皮肉な話だけど)もうそんな問いすら忘れてしまったような人たちに重宝がられているのかもしれないなとか思う。
自分にとって一番怖いのは、このまま同じように続けていく道だってある、ってことだ。
ただそのことだけが怖くて、毎日震えてて、それなのにみんなすごくて、自分は手練れようとしている人生になんとか抵抗しようとしているだけの日々だ。
ああそうだ、ただひとつ、自分の孤独だけはとても素敵だって、それだけは思ってる。そこだけは本当に。
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