うさぎ式読書日記230314

今日はとてもいい気候だった。

雲ひとつない快晴で、暑くもなく風が適度に吹いていて気持ちよかった。

今日は出勤せず、代わりに展示会に行ってそこでセミナーを受講するという日だった。

電車を乗り継いで降りたベイサイドの地下鉄の駅からインテックス大阪まで10分くらい歩いていって、その時が一番気持ちがよかった。

秋からもう2回も展示会に行っているので同じ企業ばかりで、名刺交換をすると当然ながらそこのテレアポ部署からものすごく電話がかかってくるのはわかっていた。そうじゃなくても会社の将来のためにシステムを吟味しようとかそんな気持ちにとてもならず、しっかりとはブースに寄って話を聞かなかった。

受講したのは電子帳簿保存法とかインボイス制度に関するセミナーで、講師も「国の税収トップは消費税で、小規模事業者の益税を解消することで税収を上げることが一番の狙いだと思います」と隠すことなく話していて、仕事とは関係ない意味で暗い気持ちになる。

IT関係の展示会にしては規模が小さくて、昼飯を食べようと思っていてもいつも開いている弁当屋もしまっているしキッチンカーも出ていない。仕方ないのでヤマザキデイリーストアに行くも何もなかったのでカップ焼きそばを買って店先で作って、中庭のベンチで食べた。

その時に同僚からLINEが来て、以前に勧めた「ちょっと思い出しただけ」を見ましたよ、という内容だった。「屋敷が出てるのだけが気にくわんかった」と書いてあって、お笑い好きらしいと思った。

帰りも同じ道を歩いて駅まで戻り、日差しも暖かいので電車の中ではほとんど寝ながら地元に帰った。

いつもならせっかく大阪市内に出てきたんだしと、どこかしら寄り道をするものだけど、あまりそういった気力もなく素直に朝来たルートをそのまま戻ってきた。

駅前のパン屋でカレーパンとかサーターアンダギーとかいくつかパンを買った。本屋は買うものもないかと思って寄らなかったのでコミックビームを買いそびれた。

家に着いて服を脱いですぐ布団に入り、少しスマホを眺めていると押し入れの奥からネズミがガサガサと動き回ったりキュッキュッと鳴く声が聞こえてきた。布団を頭まで被ってしばらく寝た。

飼い猫のうりが亡くなる1ヶ月ほど前から押し入れや穴の空いたダンボールの中からガサガサという音がするようになった。

アパートの部屋に猫がいなくなって1週間後くらいに、突然どこかから足の親指くらいの大きさの濃い灰色のフワフワした物体が現れて床を動いていた。見た瞬間あまりに驚いて文字通り飛び上がった。よく見ると小さいネズミで、床をくるくると回転しながら移動している。

急いでスマホで調べると、コマネズミなんだという。なるほどこれがあの、とか離れたところから眺める。

とにかくどうにかしなくちゃいけないと思ってレジ袋を上から被せようとして失敗し、その時にネズミがすごく高くジャンプして自分もびっくりして飛び上がった。そのうえチュッチュと鳴いていて泣きそうになる。

そのネズミは2回目に捕まえて外に放つことができたんだけど、それから部屋の数カ所からネズミのガサガサという音が聞こえていることに気付くようになった。

なんかでも、すごいなと思った。

ここ5年、いやもしかしたら10年は狩りなんて全くやらなかったうちの猫が、もしかしたらちゃんと仕事を果たしていたのかもしれないということがわかったからだ。

捕まえはしなくても、猫という存在が古アパートのこの部屋だけを長年ネズミから守ってきたんだなと思った。そう考えると、猫が亡くなる直前からすでに、この部屋の結界は破れかけていたのかもしれない。

他の人にネズミの話をすると、ほとんどの人がもう引っ越した方がいいと言う。

自分でもそう思う。

それこそこの部屋の結界がなくなりかけていた頃から起こってきたことというのは、ずっと続いてきたことや、終わることなんてないだろうと思いこんできたことが次々と終わっていくということだった。

20年暮らしてきた猫が亡くなり、終わっていく人間関係もあり、車が廃車になり、そして22年続けてきた仕事のことを今はすごく悩んでいる。

先週の土曜日に上司に呼ばれ、新しく上司を雇う予定でその人が課長になる、ということを言われた。

これまでの上司はどちらかといえば担当役員みたいなもので、実際の業務のほとんどは自分がいわゆる一人情シス状態でずっとやってきた。そして、そこに業務を助けるためにと委託で週に何回か入ってくれる人が来た。

そこまではちゃんと理解していたんだけど、今回のことは一切知らされていなかった。

その場で「うさ山くんの仕事はなにも変わらないから」と言われたけど、一人情シスが2人になってあなたの仕事はなにも変わらないとかそんなことあるかよと思った。

22年もこの職場で働いてきて、ほとんどのことを1人でやってきたというのに、その理由とか意図を自分には全く隠してこういったことが進行していたんだなあと思ったり、突然自分の給料の倍くらい貰う人を雇っておいて「うさ山くんの仕事はなにも変わらないから」とかあったもんじゃないなとか色々思った。

まあだから、なんというか前回の日記からそんなに精神状態は変わっていなくて、あるところがやっと整理がついてきたと思ったらまた新たに仕事のことでメンタルが厳しくなってきている。

仕事をしていて、ああ自分は軽く見られているんだなと思う。それはもしかしたらとても贅沢な感情なのかもしれないけれど。

それでも今現在、それでなくても会社の不作為のせいで休職に追い込まれてそのお陰で給料が初任給より少ないくらいになってしまった中でさらに前向きな気持ちを削ぐようなことが起こって、なんか本当に辛い。

昨日は仕事中にかなりメンタルが厳しくなって、午前中で帰ってきた。

やっと復帰したのにまた気持ちの糸が切れそうになっている。

でまあ、最近ずっと考えているのは、なんかこの間自分に起こっていること全ては、自分を柵から自由にしようとしてくれていることの一環なのかもしれない、っていうことだ。

猫がいなくなったどころかネズミまで出てきたアパート、車みたいな処分が面倒なものがなくなり、そして職場で唯一のシステム担当者で辞めるに辞められなかった状況が変わろうとしている。なんか全てがもうお前はこれまでと同じところに留まるべきじゃない、って言っているようだとすら思う。

だから新しい猫は飼わない。車も自転車も買わない。今につながるような新しいことはもう始めない。

こんなに終わることが難しいと思っていたことが(そうじゃないことだってあるけど、そのことも含めて)徐々に身体から離れて自由になろうとしている。

辛いなあ、辛いけど、なんか僅かにそのことを喜びたいという気持ちも出てきているような気がする。

こういった話は当然ながらほとんど誰ともできない。

仕事に関する部分の悩みの話は信頼の置ける何人かの同僚に話したけど、とても共感が薄かった。いつも仕事上の問題を話し合ってきた人でもそんな感じなんだなあって思った。

でも、まあ仕方のないことだと思う。職場で一番タブーで共感されない話は辞めたいという話だ。

それに、結婚して子供がいてそのことが人生の基本になっている状態で働いている人とは全く噛み合わない話だろうなと思う。自分の今いる部屋には5人の同僚がいて、全員結婚していて子供がいる。みんなが子供がとかダンナがとかうちのがとか、そんな話を日々していて、そりゃあそんな人達と自分の感覚がずれていっても当たり前だなと思う。

そんなことわかっていたはずなのに、本当に大事な時にはいつだって無援だといまさらに思う。でも、なんだってできるような状態を強引ではない形でなぜか自分は手に入れようとしているのかもしれないと思う。それは辛くて苦しくて、それでいてとても希望のあることではある。

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