うさぎ式読書日記230216

1月15日に飼っていた猫が死んだ。

20年前に生後間もない状態でやってきてこれまで、猫にとってそこしか知らなかったアパートの畳の上でその命が尽きていくところを、自分はずっと間近で見ていた。

勤続22年目に職場でメンタルが悪化して、それを会社に放置されて休職することになった。そして復帰したら、もらう給料が半分になってしまった。

ずっと続いていくと思っていた人間関係が2年も経たずに終わりにされた。そして、妹から譲り受けて5年間乗っていた車がエンジンの突然の故障によって廃車になった日に、11年前に母の友人の形見でもらった大事なコーヒーカップが割れた。

カップが割れたとき思った。ああそうか、今自分は、理不尽であるとかないとかそんなこと関係なくすべてを失いつつあるのかもしれない、とか。

なんか、こうやって書いてみるとすごく馬鹿馬鹿しいなと思う。それほど深刻なことかよと。

そうかもしれない。でも他人に「そんな大したことじゃないよ」とか言われたら、絶対に許さないとは思う。

20年間一緒に暮らした猫をなくしたことを、子供を失ったようなものだと例えようとしたことがある。猫の葬式というものをやって、そのときに住職も「お子様のようなものでしたか」とか言ってたし。

でもやっぱり、しらねえよ結婚したことも子供ができたこともないんだから、って思う。でも、そもそもこのことについてみんな、絶対にそれほど深刻な話でもないって思って聞いている。そしてそのままこちらがなにも言わなければ自然に心が癒えたことになる。他人の気持ちになんて誰も興味を持たない。


自分が職場や職場以外の場所で人間関係を築いてこれたのは、実は世の中にはあまりいない、他人の話をちゃんと、いつまでも興味深く聞くことができる人間だからだ。

そのことがあるから仕事がポンコツなADHDでも生き残ってこれたし、友人やお付き合いする人に恵まれたりしたのだと思う。

今年の5月には生まれてから48年になるけども、その早い段階から自分は「本当に辛いときには誰も助けてなんかくれない」と頭の中で繰り返してきた。正直に言うと、例外なんてなかった。

昔、好きな人に自分の過去とか辛いこととかを全部話したりしていた時期があった。その時、「あなたの個人的な話なんて聞きたくもないんだけど」と言われて、そうなんだと気付いたことがある。

その後、誰と話すときでも注意深く他人の様子を見るようになった。相手の話を興味深く聞いたあとに交換にと自分の話をしているとき、明らかに相手が会話への興味をなくしていることがわかった。

自分は他の人が思っているよりも、多くの人と話をする機会があると思う。そしてそれぞれの人が持っている人間関係や、過去のエピソードや悩んでいることなどを意外と覚えている。そう、ADHDのくせに。

それは、相手に起こることに本当に興味があるからでもあり、そうすることで相手に信頼をしてもらえるからでもある。そして、そういった信頼に自分自身の話は一切必要なかった。そうして人は誰にも言わない部分を打ち明けてくれる人を信頼するのではなく、自分の話を聞いてくれる人を信頼するものだとわかった。

だからこうして日記を書く。書かれたものならば読まれ、それがどんなに手前勝手なものであったとしても、感想まで言ってもらえるからだ。

20年、22年、2年、5年、11年と、どこからか別々に始まって続いてきたこと、これからもずっと続いていくと馬鹿みたいに夢想してきたことが、ほとんど同じ消失点を持って、今ここで消えていく。すごいことだと思った。もっともっと終わらせたい。他になにが終わらせられる? なにも残らないくらいに終わっていけばいいのに、と思う。

新しい猫、新しい車、仕事への希望、新しい人間関係、みんなに言われるけど、もうなにも要らないと思う。そんなものどうでもよくない? そんな中途半端に、ダラダラと未来への希望をつなぎたくないと思う。それは、誰かに救ってほしいと思うのに、誰にも救われたくない感情と似ている。

猫はどこにも隠れなかった。体が弱ってきたときに、少し歩くと転ぶような状態でこの2Kのアパートの気に入っていた場所全部を訪ねまわり、そのあとすぐに歩くことすらできなくなった。水を飲もうとして体を起こしては、すぐに転んだ。そのあと横になった状態で動けなくなった。半目を開けて苦しみ、口の中に水の入ったスポイトを差し込まれることを拒否した。そうして徐々に自らの命が消えていく過程を飼い主に全部見せた。そして最後、ほとんど動かなかった体にいくつかの大きな変化が起こってから、うりは死んだ。

猫が死んだあとに、その猫を連れてきた昔の恋人と電話で話をした。猫の最後の様子を克明に話したあと、うりは、死ぬまで生きろ、って言ってたのかもねと彼女に話した。

あの経験は誰のものでもない。あの猫と20年間暮らした自分たった一人だけのものだ。

みんな失くしていくことが自由だと思いたい。最後にうりがそうさせてくれたんだと、なんの未来も見えないこの場所からそれだけを考える。

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