うさぎ式読書日記221231

もう一年が終わってしまうんだなあ。

今年は1月に入ってメンタルがとても悪化して、2月になってから仕事を休職することになった。

4月にやっと復帰して、最初は1日おきに半日出勤というところから始め、とても慎重な主治医の判断により完全に復職という判断がなかなか出なかった。

制限した日数や時間で勤務するということは心の負担が減る一方で、その分給料がどんどん目減りしていくということでもあって、それはとても辛かった。

この前受診したら、やっと1月からは完全復帰ということで診断書を書いてくれた。

結局、心の状態はずっと良くなかった。

そりゃあ良くない日だってあるとか思っていたけれど、まさか1年通して悪いなんて思いもしなかった。

一番大きかったのは不安感で、駄目だ、全てが駄目だ、と思い詰めて布団の中から出られなかったり、根拠なく他人をまた自分のなにかが失望させてしまったという自責であったりだった。

これがまあ、1年続いたどころかこれを書いている今時点でも起こってるんだからなかなか厳しいなあと思う。


でも、そんな割には多くの人に会ったし驚くべき行動範囲の広さを見せた1年だった。距離をいとわず友人に会いに行ったし、個展とかトークイベントとか美術館とか京都とか、一体どこが悪かったの? と言われるような行動力はあった。どこも心から行けてよかった、と思う。

仕事も職場でのあまり働きすぎるなというチェックが厳しくなり、ほとんど定時には帰れていた。そのうえ、秋からは自分の部署に追加人員が来てくれて、10のうち2くらいしか伝えていないのに完璧にこなしてくれるような人で、自分のやっていた仕事が相当楽になるような環境が作られていった。

なので、仕事に関してなにかが辛いということはなかったような気がする。

ただ、仕事中に辛くなかったのかといえばそれは話が別で、ベースが不安に包まれているのに仕事中だけ都合よくそれが晴れるなんてことはなかったりはした。


そういった意味では、ということなんだけど、猫の病気や他にも自分を落ち込ませるのに十分なことが起こって、それでも本当はそれが一番の原因ではないような気がしている。

同じ事実が起こったとして、基礎的なメンタルがどんな状態にあるのかによって、その受け止めはガラッと変わってくるんじゃないのかなって思う。まあつまり今はなにが起きたって落ち込みますよそりゃ、っていうなのだろうと思う。


年末に取り憑かれたように占い師に自分の将来を占って欲しくなった。

占いセンターだの魔女の館だの、そういったところをひたすらネットで検索する。ふーん30分5千円が相場ね、とか思いながら見ていて、予約する直前まで行ったんだけど、でも結局行かなかった。


その代わりに本屋でタロットカードを買って、一番わかりやすそうな教本も買って、自分で並べてみている。封を開けて初めに自分のこれからの仕事運を占ってみたら、「現実を目のあたりにすることになり苦しい状態にあったが環境はやっと整えられてきている。職場では強欲な経営者によって過剰な仕事が押し付けられていて、このまま環境が変わらないのではないかという気持ちにある。今まで築いてきたものを置いて新しい世界に踏み出す時が来ている。ただしお前自身はまだ勉強とか努力不足だから」という結果が出た。タロットなんて絵柄を見て、それを超解釈して適当に言えばいいとか思ってたんだけど、上記の解釈は出たカードの意味合いを単に並べただけだ。完璧に当たってるわひょっとして才能あるかも、とか思ったりしているのは年末の数少ないいいニュースだ。

あと半年くらいで48歳になる。これまではそんなこと考えもしていなかったのに、なんか今年は「これがもしかしたら最後の〇〇になるのかもしれない」とかよく考えたりした。自分は勝手に自由に生きてきたとか思ってきたけど、現実は同じ場所に住み同じ職場で長年働いている。それはいいことだったのかはわからない。ただ、そういった環境の中でできた人間関係の中に自分はいる。それは時にはたった一人でいたいと思うこともあるし、とても心助けられたと思うこともある。

しようとしたらできたのかということは置いておいて、結婚しないでこの年齢まで生きていて、自分は家族の最小単位を1人以上にすることを望んでいないんだろうかと思ったりもする。いや、そうじゃないときだって明らかにあったのだけども。
僕は自由であるということ(言い換えれば孤独であるということ)がたぶんなによりも大事だと思っていて、会った人全てにそのことを見透かされていたんだろうなと思う。
逆に、そういった人間だということを前提とした人間関係もある(あった)のかなと思ったりはする。

それはもしかしたら、自分自身やその状態をこのまま半永久的に維持することを求められているんじゃないかとか、考える。自分も含めて人は、このままの状態がずっと続くと無邪気にも思いがちだ。

変わらないことが前提になった関係、変わらないことが前提になった予定や計画があり、じゃあ自分の将来のことはどうなるの? となると、それはそれぞれが自分で考えることでしょ、ということになってしまう。ねえ、自分はなにがしたいの?

こういうことはタロットのあとから考え始めたんじゃなくて、当然その前から考え始めていたことだ。ね、すごいでしょタロット? ということを言いたいわけじゃないのだけど。

こんなにいい加減な人間が命を削るように生きてきたここ20年間くらいで唯一やってきたのが、丁寧に人間関係を築いていくことだったのだと思うのだけど、さあ本当にどうしよう。

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