うさぎ式読書日記221204

今日は一日寝ていた。

飼い猫のうりも同じように電気ストーブの前でずっと寝ている。

うりは1ヶ月前に背中のしこりが大きいので病院に連れて行ったらかなり進行した悪性腫瘍(の可能性が高い)と言われた。ひと月で背中の腫瘍は不憫なくらい大きくなり、一般的に癌になった猫のそれと同じように食は細り身体は痩せてきているから尚更だった。


そのことだけではないと思うけれど、ここ1ヶ月は相当メンタルが悪い。

何故か希死念慮だけは全くないのだけど、今日に至るまで少しずつ悪化しているような気すらする。

この間は猫のこともそうだし、ちょっと落ち込むようなこともあった。でもそれはどんなエピソードでも深く沈んでいくという心の状態を悪い形で確認したに過ぎないような気がしていて、なんというかそういったことよりももっとよくわからない、感じているより多く心癒されることも起こっていると思うのに、基本的な状態での心の悪さがずっと横たわっているような気がしている。

それなのに、先月半ばに精神科に受診した時には「仕事は負担も減らしてもらい、辛くなるようなことも起きなくなってやっと落ち着いて仕事ができるようになりました」とか言って、来年からは就労制限を解除する診断書を書いてもらうことになった。

仕事に関しては言った通りなので、なにも嘘はついていない。でも本当は今はかなり悪い。


猫のことは確かに毎日の中にかなりの影を落としていて、帰ったら死んでしまっていないだろうかとか、こっちを見てか細く鳴いたりすると痛いのかな、と思ったりする。

獣医が言うにはこれからは腫瘍が神経を圧迫するから痛くて鳴き叫ぶようなことがあるということだった。痛み止めは処方してくれるようだけど、そんな状態に自分が耐えられるだろうかと今から思う。

猫を飼っていることは職場の人とかほとんどの人に話しているけれど、この病気のことについては限られた人にしか言っていない。

一度猫が末期癌でと話をしたら、「まあ生き物だから仕方ないよね」と言われて気持ちが沈んだことがあった。言ったその人が悪いというよりは自分のメンタルが悪かったからだと思う。それは、まさにどんなきっかけでもという状態だったから。

そういうことだから、浅慮とは言わないにしてもむやみに言われたことで落ち込みたくないのでできるだけ他人には猫の状態とかを話さないようにしている。そりゃあそうで、このことは猫と自分の本当に個人的なことなのだと思う。そして喋れない猫に代わって、自分がこれからの全てのことを判断しなくちゃいけない。そんなことを含めてこの猫と暮らした19年を自分たち以外が理解できることもないだろうし、それこそ「仕方ない」ことだ。


今日は朝電話がかかってきた以外は夜までずっと布団に入ったままで寝たり起きたりしていた。

起きている時にはずっとスマホでゲームをしていた。物をいくつか作って、そのいくつかの物でまた違う物を作って売った金で建物を大きくしていくということを繰り返す作業ゲームをひたすらやり続けていて、その時だけはなにも考えなくていいので不安だったり悲しかったりする気持ちが紛れた。

眠たくなったら寝て、腹が減ったのでカップ焼きそばを食べてまた寝た。

その合間合間には自分はどうしてこんな悲惨なくらい沈んでいるのか考えていた。

もしかしたら部屋が寒いからなのかもしれないと思った。ずっと電気ストーブはつけていたけれど、猫がその前で寝ていて熱気を全て吸い取っているようだった。

布団の中にいるだけでは積んでいる本や漫画もはかどらないし、遅くまでやっているコメダでも行って本を読んだあとに灯油を入れて帰ってこようと思って、1時間半くらいかけて起き出して、外に出た時にはもう夜の8時くらいだった。


コメダでケーキセットを頼んでバターケーキを食べながらホットコーヒーを飲み、読みかけの高島鈴の「布団の中から蜂起せよ」を読んでいたら、延々とテトリスをやり続けて無為な時間を過ごしているというエッセイがあった。

「早く水色の棒来てくれ」という気持ちだけで塗りつぶされる時間のこの無意味さが、私には奇妙なほど頼もしかったのだ。意味があると思わされている数々のこと、あるいは私にとっては意味がなくても他の誰かにとっての意味によって強制される数々の行為に囚われた時間が、たまらなく苦しい。そういう時期に、ひたすらテトリスに没頭する無駄な時間が、私には必要だった。
 ―高島鈴「深夜テトリス」(「布団の中から蜂起せよ」所収)

自分も仕事で叱責された時に一時でもそのことを忘れたくてずっとテトリスをやったりしていたことがあったし、まあ今日ひたすらシムシティやってたのも同じことだ。この本はこうやって生きている自分たちへの連帯の書であったりもする。

途中で喫煙スペースに行って、腰掛けに座って区切られた暗い空を見上げる。本は進むけれど気持ちは一向に思わしくない。こんなに辛いんだから明日は仕事を休もうかなと思い立って、そうしたら一瞬だけ前向きな気持ちになったりした。


コメダには11時の閉店までいて、それから少し離れているけれど安いガソリンスタンドに車で向かった。

車の中では最近の気持ちに合わせて作ったSpotifyのプレイリストをずっと流していて、フィッシュマンズのナイトクルージングを聞きながら、もうちょっとうろうろしてから家に帰ろうかなとか思った。

静かでなにもないガソリンスタンドで灯油と車のガソリンを入れた。そして、帰ってくる途中にドン・キホーテに寄った。

夜中にドン・キホーテにいる人間は全員さみしい人間だと思っているけれど、店内に入ると他の客に特別親しみも湧かなかった。いつものことだ。

送る予定の荷物に入れる食べるラー油とかと、あとは意味もなくお菓子とかチーズとかも買う。

そのあとは普通に家に帰ってきた。

帰りの車の中ではプレイリストにあったフラワーカンパニーズの深夜高速が流れたりしていて、浸り過ぎだなとか思いながら「生きていてよかった」とつぶやいていた。

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