8月は暑くて、今考えてみてもなんとか生きのびたというような感じだった。
苦労して起きて仕事に行き、暑いから出勤した時点でそこそこ疲れている。そこからなんとか社会人として擬態して1日を過ごし、早めに帰ってきてすぐ買ってきたり食べに行ったりして夕食をとって、シャワーを浴びてそこからベッドでぐったりする。
寝るまではなんとなくスマホに入れたトランプゲームばかりしたり、You Tubeで中川家のコントばかり見ていたりと全く生産性のないことなどをして、電話がかかってきて話ししたりして、眠たくなったら寝る、×1、2ヶ月という毎日だった。
もちろん、人間は生産するために生きてるんじゃねえよバカ、と思いながらだったけども。
家にあるクーラーは窓に挟み込むタイプで、今年はその無力さを思い知った夏だった。つまりはほとんど効かないということなんだけど、暑さは本や漫画を読もうとする気持ちまでも奪ってしまうのだなと思った。
家に除湿機しかない友人の話を聞きながら、逆にそっちの方がいいんじゃないかと真剣に考えたりもした。
7月頃はそれでもコメダで長居をして本を読んだりとなんとか抵抗していたんだけど、疲れると早く寝たいというような気持ちになってしまうので、本当に良くなかった。
そんな中でも読んだ漫画を記録しておこう。
・惰性67パーセント(9) 紙魚丸
大学生のエロコメディのマスターピースがついに最終巻に。
元々同人時代から成年マンガを描いてきた作者が一般誌でエロとはなにかを追求し続けてきたような感じがあったんだけど、結局一番エロいことって恋愛じゃね? ってところにたどり着いていたような気がした(もちろん人による)。
・消えた初恋(9) アルコ/ひねくれ渡
男子高校生同士の恋愛物語もこれで最終巻。
物語の帳尻を合わせるためなのか途中から超展開になるんだけど、最後は気持ちのいいハッピーエンドで終わってよかった。
全編を通してベタな恋愛イベントを順番にかつ真面目に迎えていったのだけど、そういったこと全てがただただ暖かく描かれていって、すごく好感を持って読めた作品だった。
・おとなになっても(7) 志村貴子
レディースコミックのような俗っぽい展開が続く7巻。
朱里と綾乃の恋愛関係と、小学校教師の綾乃の女子生徒3人組の恋愛トライアングルの2つの軸で話は進んでいく。
これまでの作者の作品群と違い、それぞれの人物を描き過ぎないから展開がとてもわかりやすい。
それなのになぜか、物語とか心象ががより複雑なものになっていく感じがあって、すごいなあ、こうやって進化していくんだ、と思いながら読む。
・地図にない場所(3) 安藤ゆき
現役を引退したトップバレリーナと落ちこぼれの中学生男子が一緒に「イズコ」という地図のない場所を探す交流を描いた話。
なにがいいって、主人公の元バレリーナ、琥珀がもたらす自由さだ。
ぎゅうぎゅうになりながら生きる日常を象徴するような中学生悠人は、世間知らずの琥珀にそんな社会での生き方を伝えようとするのだけど、本当に教えられているのは悠人の方かもしれない、というところが読んでいてなんかとても気持ちがいいのだ。
物語全体の軸になると思えた謎の「地図にない場所」の秘密があっさりとわかってしまったあとも物語が続いていく感じで、いったいどうなっていくのか気になって仕方がないのに次巻は1年後かあ。
・君の名前をよんでみたい 飯田ヨネ
飯田ヨネが新連載と聞いて、今度はどんなテーマを選んでくるのだろうと思っていたんだけど、芸能事務所の新人俳優とマネージャーの話だった。
そうなんだ……と思って読み始めてみると様子が全然違ってきて、その新人俳優がディスレクシアだったということがわかってくる。へええすごい、と思いつつも、でもそういった事実が提示されてから今後は話をどうやって展開していくんだろう、と不安を感じたりしていた。
そう思っていたら第2話が公開になって、読んでちょっと驚いた。
主人公のハンディキャップを物語の中の一要素として扱うのではなく、このテーマで本当に真正面から描き切っていくつもりなんだなということが伝わってくるような、そんな力強いものを感じたから。
飯田ヨネはずっと自分の仕事で戦い続けていて、そのことで読み手になにかが伝わらないはずがないよなあと読みながら思ったりしたのだった。
・ブランクスペース 熊倉献
ここ数年の漫画読みの話題をさらい続けた、想像する力に関する物語がついに完結した。
最終話では、これまでにも登場したスイのノートに書き写された俳句や短歌、詩などのアフォリズムが改めて見せられていくというシーンが展開していく。そして驚くべきことに、そのスイのノートで最後に引用されたのが桐山襲(きりやまかさね)の「風のクロニクル」だったので、目を疑うくらいびっくりした。
桐山襲って、あの「パルチザン伝説」の桐山襲が、なんで2人の女子高校生のSF日常冒険漫画ともいえるこの作品に突然引用されてるの? すごくない? もちろん格好いいって意味で!
僕は作者がこの小説から偶々引用しただけ、とかじゃないって思っている。
これは明らかに作者によるなんらかの「表明」であると思うし、全共闘世代を内側から描いたこの小説と「ブランクスペース」との関係を、もうちょっと考えてみてもいいんじゃないかと思う。
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もう少し最近のことを。
阿倍野区文の里にあるシェア型書店「みつばち古書部」への棚出店と店番も継続してやっている。
お盆真っ只中に店番をして、相当お客さんが来るのではないかと思ったらそうでもなくて営業時間を1時間伸ばしたことでえらく疲れてしまったり、逆に平日の火曜日の方が人がたくさん来たりと商売は難しいなとか思った。
橋本治だけを並べた棚「ももんがブックス」も展開をしていて、この前は橋本治のファンだという女性のお客さんが来てすごく嬉しかった。橋本治が好きな人の多くは、世の中には自分以外に橋本治が好きな人が実在するとは思っていない。だから奇跡が起こったくらい嬉しいのが橋本治好きあるあるだと思っているのでもっと話をすればよかったと思う。
この前の日曜日には、友人夫婦がやっている京都一乗寺にある学習塾兼イベントスペース「えんぴつ舎」にて「―夕言ゆうこと―」という詩の朗読会があるということで、誘われて行ってきた。
自分くらいしか来ていないのではと思って行ったら、そこそこお客さんが来ていた。
人には苦手なものがあるものだけど、ポエトリーリーディングというのもその一つだったりしたのでかなり身構えて行った。
でも実際に聞いているととても楽しかった。4人ともタイプが違っているのも良かったし。
会の途中で何度も詩は聞く方も疲れるということが言われて、それは本当にそうだなあと思った。言葉だから聞きながら理解しようとして、結局理解なんてほとんど手に入れることができないのがポエトリーリーディングなのだなあと改めて思ったり、自分は朗読に緊張感があるよりも言葉に緊張感のある方が好きなんだなとか、あとはやっぱり、人前で表現するということはとても怖いことなんだという感覚を何故か自分のこととして感じたりもしたのだった。
演者の中では下村泰史さんの詩が一番良かった。
初秋の京都は空気も爽やかで気持ちが良かった。バスに乗って京都駅に出て、ヨドバシカメラで頼まれていた買い物をしてから階上の居酒屋で夕飯を食べて、それから地元に帰ってきた。
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