うさぎ式読書日記220207

今日から2週間、休職することになった。
年明けから気分の落ち込みが深くなり、嘔気や頭痛に寒気に倦怠感、胃のむかつきに手先のしびれとまあなんか諸症状と言えるようなものがたくさん出てくるようになってきた。
それは仕事に行く朝や、出勤後の職場でもずっと続き、仕事の帰りとかには泣き出しそうな気持ちに襲われたりもして、これはちょっとまずいと思って、夫がケアマネをしているという同僚にいい病院をと教えてもらって、市内のちょっと離れたところにある精神科を受診したんだった。
精神科の口コミを調べていて一番多いのは、医師が話を聞いてくれないということだ。自分も過去にそんな病院しか行ったことがなかったので、そんなもんじゃないかと思っていた。事前に精神保健福祉士が予診して、医師はそれを見ながらちょっと話すというような。
なので、行ったクリニックで医師が40分くらいもずっと話を聞いてくれたのには驚いた。そんな病院も存在するんだな、って思ったりした。
それで結局「適応障害(うつ状態)」という診断がついて、「すぐにでも1・2週間休んでもいいくらいですけどね」と言われた。ただ、休む前に仕事の申し送りとかをしないと、自分一人でしていることが多いだけにすぐに休み中も電話がかかってきたりして、結局休まらないんじゃないかって思ったので、ちょっと待ってほしいと話した。
それで、とりあえず少なめの薬を飲みながら、1週間後に再受診することになった。

不調になった原因は明らかで、去年の7月から境界性パーソナリティ障害(BPD)の同僚と狭い部屋で2人きりで仕事をするようになったことだった。
それがどんなに精神的に追い詰められて破綻していくようなものなのかについては、もしかしたら当事者にならないとわからないことなのかもしれないとも思う。
自分がきつかったのは、BPDの彼が、他の同僚が自分の(時に勝手に設定した)ルールを逸脱したことに苛立ち、怒りを爆発させてそれを同室の自分にぶつけてくるところだ。机を叩き、悪態をつき、声を荒らげる。そして、いかにその人間が自分に無礼を働いたかを納得するまでこちらに話したり、どうすればいいのかと聞かれ続ける。
途中で話を遮ったり終わらせようとすると、自分のことが尊重されていないと言い募り、次にはなぜ自分に対してそんな失礼な態度を取ったのかについてこちらを追求し始める。
そうやって同室に2人でいる時間の多くで自分は彼の言葉の暴力に晒され続け、また常に仕事のことも雑談も、常になにかを話しかけられ続け、黙って仕事に集中することもほとんどできなかった。
一方で、彼にとって(は)気心の知れて相談もできる同僚と2人だけだし、気になる人もいないところでのんびり仕事ができているという感じだった。

この会社の中で彼に対処できるのは自分しかおらず、また自分にしかそんなことはできないと思っていた。
いくつもの部署で同僚とトラブルを起こしてきた彼を、僕が1人で仕事をしている部屋に連れてこようという話は1年前にあった。
その話が持ち上がったことを聞いて僕は、自分の精神がいつまで持つか分からない、と言って抵抗して一旦は止めになった。
そしてそれからしばらく経った時、彼が同僚とトラブルを起こし、「避難してきた」と言って部屋にやってきて、その日からそこで仕事をやりはじめた。そして上司もそれを追認した。
彼に対処できるのはうさ山しかいないわけで、2人で仕事をするなら丁度いいじゃないか。他の人間とトラブルを起こすこともないし、彼にとってもうさ山は気を許せる人間なんだから何かあったら相談もするだろう。それが一番いい。
そういった話になったらしく、そんなことしたらどうなるのかは事前に言っていたし予想もされていたはずなのに、それでも敢えて「うさ山の辛さ」だけは意図的に考慮されなかった。
その頃から、もう自分の心が破綻することでしかこの状況を変えることはできないんだろうなと思っていた。
僕は、ことあるごとに彼が「避難してきた」原因の解決や、BPDを抱える彼を会社全体でフォローできるような体制を作るように、求めてきた。


昨年10月頃になるとついに自分に身体的な症状が現れ始めた。
このままでは危ないと思って、労働衛生環境を担当している上司にメールを送り、もう持たないと書いて、面談を行うことになった。
「うさ山さん大丈夫~?」と言いながら、「同室の彼を元の部屋に戻すことを上では今、検討しているところです」と話すのだった。そしてそれはそこから更に3ヶ月そのままにされた。
それで、自分の心身の状態は悪くなっていき、精神科を受診した。

今回行ったクリニックを紹介してくれた同僚が、心身の状態が悪いことを心配して再度担当上司に話を聞くよう掛け合ってくれて、面談の予定が組まれていた。
受診したあとにその面談を受けた。担当上司とその上司と会社で同じポジションにある上司が座っていた。
僕は、まず精神科を受診して休職を勧められているという話をした。
それを聞いて少し表情を曇らせながら、今回もまた冒頭に「大丈夫ですか~??」と言った担当上司が、「そうなんですよ、実はそのことなんだけど、近々彼を元いた部屋に戻そうと思ってて」と話した。僕は、ありがとうございます、と心にもなく言った。
「ついては彼に元の部屋に戻るよう話をする場を設けたいんだけど、その時にうさ山さんに同席してもらえないかなと思って」「やっぱりうさ山さんは彼にとっても理解者なわけだし、彼も安心するかもしれないし」と言った。
彼にとっては今が一番いい環境なわけで、不利益だと感じるような話をするならば絶対に荒れるに決まっている。そういう場に敢えてその人が原因で辛いと言っている人間に同席させようとするとか、自分たちが対応しきれないからといってよくやるぜ、と思って聞いていた。
その時もう1人の上司が何気に「彼にとっては今が一番安定してるとは思うんですけどね~」と言った。その時、やっぱりこの人達は本当になにもする気なかったんだな、と思ったんだった。

こういったことを医師に話したときにも、同僚に話したときにも「休むくらいしないとわかってくれないよ」と同じように言われた。
まあそれは本当にそうだったのかもしれないけど、身体が辛い状態というのが明らかにあって、しかもそれが段々と悪くなっていた。
そして、一週間後の先週の水曜日に受診し、薬は半錠から1錠に増量されて、「2週間の加療を要する」という診断書が出されることになった。
明日からの休業指示でいいか、と言われて、今週いっぱいは待ってもらえたら、と話して翌月曜日から休職の診断となった。

それから、数日の間に申し送りの事項をまとめ、今途中になっている仕事とか、トラブルが起きたときにどこに連絡したらいいのかとかといった文書を作ったり、期限があるものはできるだけ処理をした。
休む前にやっておかなければ面倒になるようなことは気が遠くなるほどあり、最後の土曜日には9時過ぎまで残業した。
スマホを見たら落ち込むような通知が来ていて、「When it rains, it pours.」っていうのはこういうときのことなのかもしれない、と思う。それは自分が原因のことだから当然といえばそうなのだけれど。
会社の駐車場を歩いているときに三日月くらいの月が見えたんだけど、それがとても不穏なものに見えてきた。なんかすごく怖くなって目を逸らして、下を向いて帰った。

昨日の日曜日は朝から頭が重たく、浅い眠りの中で職場の人が出てきてはなんかをするという夢を見て、目が覚めると仕事のことが思い出されてうなされる。
前日が休み前の最終出勤になるはずが終わらせられなかったので、出勤してなんとか残りの仕事を処理した。
夕食は王将で食べた。
食べた「蟹レタス炒飯」は、看板メニューらしくメニューの1ページを使って宣伝されていた。 よく見ると小さく「かに風味かまぼこを使用しています」と書かれていて、これはほとんどアウトじゃないんだろうか、と思って面白そうだから頼んでみたけど普通においしかった。

最近これからの人生をどんなふうに生きていこうかと考える。近い将来も、遠い将来も。
西村賢太が54歳で逝去して、久しぶりに顔写真を見たけれど父にちょっと似ていた。
同じく父に似ている中上健次は46歳で逝去していて、その父は2人のちょうど間の50歳で死んでいる。
そんなことをつれづれと考えながら、もうそんな歳になったんだから、1回死んだつもりで自分が今までに考えもつかなかったことをやってみたいな、とか思ったりするんだった。 


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