見えない思いを探して―同人誌「babel 創刊号」

大阪文学学校時代にお世話になった真銅氏に小説の同人誌の献本をもらった。
4本の小説と2本のエッセイが収められていて、それぞれ違った個性のある、ブンガク寄りの一冊だ。

特に凄いのは、秋尾茉里「あさがおの花」だった。
精神障碍を持った人たちのデイサービスでボランティアをする主人公の女性は傍ら、自らが「空気を読めない」人間だと言われることについて、カウンセリングや自助グループに参加している。
阪神大震災で両親を亡くし、自らが発達障害だと暗に指摘されるという主人公や、相模原事件までが扱われるっていう大変なテーマがあったりするのに、それを一貫した筆致と視点で描ききっている。
ただ、起こること、交わされる会話だけが書かれ、それを評価するような書き方はしない。なのに、伝わってくるのは、主人公が置かれた重たい状況なんて遥かに越えたもっと大きくて根元的なテーマだ。
そして小説としても、冒頭の小さなエピソードがクライマックスにつながっていたり、二つの日々は物語では交差しないのに、読み手の中でそれがひとつの像を結ぶようになっていたりするなど、すごく考えられている構成がうまい。
そんな中で、なぜ私の問いに正面から答えてくれないのか、っていう全体を流れる疑問が、読者の心を最後まで抉り続けるのだ。
あと、私的なことだけど、僕も同じような施設で働いていたことがあるから、この小説で書かれている主人公の葛藤や認識や分からなさは全て、何のバイアスもかかっていない事実だと思った。
だからこそ、遊園地やフードコートでのエピソードは自分にとってあまりにも鮮烈だった。

その他にもどれも違う趣向で楽しませてくれる小説が掲載されている。 それぞれの作品の感想を以下に。


「バーバラ」真銅孝
日雇いで働く主人公の男と、働かずダラダラと男の部屋で居候する元女子プロレスラーの女の同棲物語。
女に罵られながら仕事に行く日々の主人公は、商店街で目撃されるという不思議な少女、「バーバラ」をいつしか探し続けるようになる。
都市伝説のような話かと思いきや、物凄い濃度のペーソスが襲いかかってくる人情話で、勝手にああ、これはまさに大阪の文学だなあと思った。
特にギョウザを食べてる描写のしつこさが、この小説全体に流れる空気感そのもので、すごい。
読んでいて、森下裕美が描いている「大阪ハムレット」などの傑作人情作品群を思い出したりしたのだった。

「真夜中にも蝉は鳴く」吉中みのり
二人の男が、距離を置いて駅から団地の中を通りながら家に帰る。
それだけの話なのだけど、後ろを歩いている男の思いが、その短い時間の中に溢れ出ていくのだ。
前を歩く男をなぜそこまで見つめ続けるのか、声も掛けずにいるのか。
叡一の敦司に対する思いをどういう方向で書くかが本当に重要で、話者の繰り返し念押しするような語りよりも、叡一の切羽詰まった思いがもう少しだけまとまって伝われば、いろんな方面の読者を獲得できるのになあ、と思った。

「花冷蔵庫」井上豊萌
路地裏の、花屋でも食堂でもバーでもあるような植物に囲まれた小さな店。
そこには伝えられない思いを持ちながら愛する人の前を去った人達が、たまに訪れる。
三つのオムニバスのような構成で、全体を貫く世界観を、出し惜しみしないで開示していくところに好感を持った。
後半の嵐の中の花屋の店内と外、そして段々とその境目が曖昧になっていく描写は素敵だし、作品世界の暗喩でもあるんじゃないかと思った。
読者には仕掛けが大体分かってきてるからこそ、オリジナルの世界観や、ストーリーで驚かせることは本当に大事になると思う。そこが磨かれたらシリーズ化だってありうる気がする。

(エッセイ)「鳥の動きをとらえる」真銅孝
文章の視点と読者の想像が同期しながら進んでいく、気持ちのいいエッセイ。もう少し引っ掛かりが欲しいような。
(エッセイ)「平日のスープ」井上豊萌
スープの入った鍋がパートナーとのSNS代わりっていうところが楽しくて気持ち良くて、好き。 


babel
発行:真銅孝 頒価:500円
babelbook@googlegroups.com 

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