うさぎ式読書日記211103

あの、最近「桃尻娘」シリーズを最初から読み返してて、もういきなりすごいなって思ってた。

まあさ、ファンの欲目でいうと全部がすごいんだけど、やっぱり語り言葉の力が直接こちらに届いてきて、それがね、本当によくって。

 あたしは、あの人の笑い顔が好きだったから、よく覚えてる。ホントに、ホントに、大好きだったから、あたしはあの人の笑い顔をよく覚えてる。
 ホントにとろけそうに幸福で、あたしは、この人を笑わせる為ならなにをやってもいいと、そう思ったことだってあるんだ。ホントに、私は、あの人の笑い顔にどれだけ救われたのか分らない。天真爛漫て、こんな風にきれいなんだなァって、昔あたしは、思ってた。
 でも、その醒井さんが、その時は違った風に笑ったんです。「フフフ」って、なんか、いやらしく、自信に満ちたみたいな笑い方を、あたしに向かってしたんです。「どう、よく見なさいよ」って、あたしは、チョーチンブルマーの麻丘めぐみに言われてるみたいな気がしました。気がして、ゾッとしたんです。

(橋本治「帰ってきた桃尻娘」より)

いきなりすごい、とか言いながらもかなり進んで第3巻目の主人公榊原玲奈の語りなんだけど、この「桃尻娘」シリーズをずっと読んでいて思ったのは、言葉とか、喋り方で人間ってもっと自由になれるんだな、ってことだった。

これって、こうやって書いてる文章だってそうだけど、普段の喋り方だってそうだって思う。

それで最近、9月頃からずっと1巻目から読み返しながら(「桃尻娘」シリーズは全部で6巻あるよ)少しずつ湧き出てきた気持ちっていうのが、登場人物たちみたいにもっと平気で「バーカ!」って言いたいなあってことと、もっと喋りたい喋り方で喋りたいことを喋りたいなあってことだったりした。

喋りたいっていうか、自分が一番楽な喋り方したら多分おネエとかって言われるんだろうなって思ったりして、でもそれが一番自分にとって自由なんだよなあって思ったりしていて、それがもしかしたらちょっとずつ職場での喋り方を変えていったのかもしれないとか思ったりした。

実家に帰ったら母と「やーねェ」とか普通に言ってて、それがおかしいもなにもなかったんだけど、子供の頃東京の片田舎から関西に引っ越して暮らすようになった時から、関東弁で喋るだけで「オカマみたいな喋り方すんなや」と言われたりしたから、なんかそれからはずっとダルちゃん状態で擬態してきたんだろうなって思ったりする。


この前の日曜に年下の同僚たちに誘われて釣りに行ってきた。

前も行った姫路沖にある島に設置してある海上釣堀で鯛を釣るってやつで、行きも帰りも運転した。

行きの車内は隣の部署の女性2人と自分という組み合わせで、誰からともなく「女子会だね」って言いながら最近読んだ少女漫画の話とかしながら和気藹々としてた。

釣りの方は全然釣れなくて、それでも最低保障ってことで鯛をもらったりした。

帰りは行きの3人ともう1人これも隣の部署の男性が乗ってきて4人になった。

帰りの道中も色々と恋バナとかして話しながら帰っていて、そのうちの1人の女性が、「うさ山さんに聞きたいことがあるんですけど」と言った。

えーなにー? とか言っていたら、「うさ山さんって、どっちも好きになれるんですか?」って聞かれた。

聞いた時、咄嗟になんでわかったんだろう、とか、振る舞いから漏れてたのかなとか、どうしようなんて答えようとか思って、でもその時は車内の雰囲気も、聞いてきたその人自身にも悪い感じが全くしなかったんで、「うん、どっちも」って言った。

考えてみれば具体的になにがどっちなのかとか全然はっきり言われてなかったんだけど、ああ、ついに来た、ついに聞かれた、みたいな気持ちになって、そんなしち面倒なやりとりをする余裕なんて全然なかった。

そうしたらすぐ、「やっぱりそうなんですね」って明るく言われて、なにがやっぱりなんだろう……? とか思いながらもそこから淡々と、男性も女性も好きになったことがあって、でも付き合ったことがあるのは女性だけ、ってこととか、中学の頃に親友がいて、距離を取られてからずっと悩んできたけど作家の橋本治の本を読んであれは彼のことが好きで、振られたからショックだったんだってわかったとかいう話とか、さらにそこから橋本治に会うことができて、その橋本治も2年前に死んでしまって、みたいな、自分としたら繰り言じみているようで、でも実際にはほとんどリアルで他人にしたことのないような話を全部したんだった。


そんな傾向があるなんてこともいっさい職場では話したことなんてなくて、まあ職場の人でも自分の日記とかTwitterとかを覗き見してる人はいるようだから知ってる人もいるんだろうけど、直接、はっきりと自分から話したのは初めてだった。

なんだろう、僕はほぼ女性が恋愛対象だったので、自分の性的傾向を他人に言うのって、ゲイじゃないのにゲイだって名乗ってるみたいなバツの悪さというか欺瞞かもしれないなとかいうことをずっと思ってきた。

だからことさらに深刻ぶってそんな告白みたいなことを他人に言うなんて、逆にもっと深刻さとか切実さを抱えている立場の人間に失礼なことなんじゃないかってくらいに思ってきた。

まあでもそれも考えてみればなに言ってんだってことだなって思ったりもする。

この車の中に乗っていた同僚のひとりは、かつて食事に行ったときに「うさ山さんは男の人に興味あるんですか」と聞いてきた人 だったのだけど、その時に自分の状態をちゃんと言えなかったのも、やっぱり心の隅にそういった引っかかりがあったんだろうなって思う。


グダグダに疲れて家に帰ってからも、車の中でのことを思い出してた。

大したことをしたような気もしたし、大したことなんてないような気もした。

自分以外に唯一そこにいた男の同僚も、変な拒否反応はなくて、その話が終わったあとも他の人の話をみんなで普通にし続けていたし。


一日くらい経ってからもあまり気持ちが整理されずにいろんなことが浮かんできては未整理のまま消えていく。

同性が、異性が好きになるとかだけじゃなくて、もっと軸がたくさんあってさ、どういう自分でいたいとかもあるわけだしとかは言えなかったなあとか、やっぱりなんであんなこと聞かれたんだろうとか、そもそも質問も答えもどっちもずれてたんじゃないのかなとか、シスヘテロの人間にはしないような質問をされたってことは一体自分のなにを確認したかったんだろうとか、でも面倒な気持ちから逃げずにある程度丁寧に話ができてよかったとか、だからってスッキリするわけでもないんだなとか。

それで、数日たった今でも、なんだかよくわかんないんだけどずっとモヤモヤしてたりしていて。

間違ったことはしてないし、悪いことなんていっこも起こってないような気もするんだけど、なにがそんなに怖いんだろう、なんでこんなにイライラしてるんだろうって思ってる。

もしかしたらこのことと全く関係のないことなのかもしれないけどさあ。

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