うさぎ式読書日記230324

土曜の夜にオールナイトの映画を京都みなみ会館まで見に行った。

日曜の朝に帰ってからは眠たくてずっと寝ていた。

部屋の小ネズミは相変わらずチュッチュと鳴いていて、そのことを話したら「うさ山さんは結局ネズミがどうとかずっと言い続けながら一生その部屋に住むんでしょ(笑)」と言われて、そこまで言われてこっちもただ笑ってたら自分は本当のバカだなと思って、ネズミの鳴き声のする箱を玄関の外に出して、ネズミを追い出した。

それでも手の届かないような押し入れの奥でもまだガサガサ音がして、部屋に大量にあるダンボールとともに、自分の近い将来のことを考えたりした。

火曜日もずっと昼過ぎまで寝ていて、午後からは友人と会おうということになって出かける。

喫茶店でカフェモカを飲みながら話をして別れた。

いつからなのかとか、なにがきっかけなのかもわからないけれど、またとても心の調子が悪くなってしまった。

仕事が忙しければまだ気持ちは紛れる。でも、いつもなら我慢して済ませられることもメンタルの悪さに直結してしまう。例えば本来するべき仕事を笑ってこちらに押し付けてくる人たちに苛立ったり。

いつもは退勤直後から気持ちは楽になるのだけど、ずっと深い溜め息をつきながら帰り、家に着いてもすぐに布団に潜り込んで仕事のこととか人に言われたこととか自分の将来のこととかについて考え続けている。

状況はなにも変わってなくて、気の持ち方が変わっただけだとはわかっているのに、どうしてこんなに将来に悲観的になってしまうんだろう。

職場でもどこでも、周りの人たちからの「相変わらずで」いてほしいという雰囲気を常に感じているような気がする。それは悪意のない、もしかしたら無邪気な善意かもしれないと思う。相変わらずなあなたを私はとても気に入っていますよ、みたいな。そう言われて喜んでるこっちの方を釘付けにしたうえで、それぞれは当然のように人生の歩を進めていく。そしてそれを自分は呆気にとられながら眺めてるようだと思う。

周りに好かれるために変わらないという訳ではないし、将来がほしいと思っていない訳じゃ全然ないのに、そうやって自分の今を他人のせいにしてしまいそうになり落ち込む。

人に愚痴とか自分のプランを披瀝することと、これから自分の人生をどうするか相談したり検討したりすることとは違う。だから結局はただひたすら自分自身だけと話し続け、そのことと同時に少しでも前向きな行動を重ねていかなくちゃいけない。

ここから2年頑張ればなにかがものになるかもしれない、というつぶやきを読んで、本当にそうだって思った。この重たい身体を、自分で前に進めなくちゃいけない。

0コメント

  • 1000 / 1000