3月の終わりごろ、仕事を休職してずっと家で過ごしているときに突然思いついて、以前から知っていて出典を憧れていた棚貸し書店「みつばち古書部」に連絡を取った。
もし棚に空きがあるようならば出店できないだろうか、と経歴を書いて送って、参加を認められた。そのあたりのことはこちらの「【社告】ウサヤマブックス みつばち古書部店の開店について」にて。
出店することになってから、ずっと悩んでいて、今でも悩んでいるのが
・棚に並べる本、どうしよう
・棚のレイアウト、どうしよう
ということだった。
まずは、本どうしよう、ということについて考えたことを記録しようと思う。
棚に並べる本については家にある本と、ブックオフなどで面白そうな本を買って読んで、おすすめできそうならその本を並べよう、ということにした。
家の中には取り置いている雑誌を合わせたら大体2千冊くらいはあるのだけど、程度が悪かったり、これを売るのはなあ、とためらわれたりで、思った以上に集まらない。
古本屋の店員だったことのある友人にそういったことを話すと、「『これは売りたくない』っていう本が本当に売れる本なんやで」と言われた。
たしかにそうだ、一理ある。この本はいらないかなって思うような本ばかり並べるのはどうなんだろう、って確かに思う。
そうすると、じゃあどんな本を並べるのか、ひいてはなんでこの本を並べるのか、みたいなことになってくるわけだ。
自分がどんな本を並べていくのかについては
・いらない本
・売れそうな本
・面白いから読んでほしい本
と大まかにはなるのだと思う。
本当に商売をするならばもちろん売れそうな本で、客層と金額とジャンルとタイミングをすごく考えて本を選ばなくてはいけないと思う。
「売れそうな」本とか簡単に言うけど、どんな本が売れそうなのか想像もつかないし、他の棚の本と被らない方がいいのかそうでもないのか、なんか結構難しい。
これまた職場に、かつて中小書店チェーンの店長をしていた後輩がいて、黙ってたら絶対配本されないからと取次の倉庫にまで乗り込んでハリー・ポッターの新刊を奪取してきたという話を聞いたことがある。本を売るというのはそれほど大変なことなんだろうと思う。
「みつばち古書部」でも、オリンピックの開会式の作曲をしていた小山田圭吾のいじめ告白が問題になったあとほどなくして、問題の記事が掲載された「Quick Japan」のバックナンバーを並べている棚があった。臨機応変に棚を対応させるのすごい、と思ったりした。
でも、どちらかといえば稼ごうと思ってこの「みつばち古書部」に出店したいと思ったわけじゃないし、と思った。
じゃあなんで? ということを突き詰めて考えていく。
そりゃあ、自分が好きな本のことを他の人にももっと知ってもらいたい、ってことかなあと思う。
たぶん本好きの人間の共通の夢の一つに、「好きな本だけを並べた本屋をやってみたい」っていうものがあると思うんだけど、まあそういったことだよなあと。
その理屈から言うと、棚に自分がいらないと思うような本を並べるのは問題外だということになる。自分にとっていらない本でも他人には待望されている本かもしれない。でも、そういったことを考え出すとなんかやりたいことがすごくブレてしまうような気もした。
まあ、本という存在自体がすごくいいものでそのことを伝えたい! という大きい視点だって当然ながらあるけれど。
<うきわ書房さんの棚>
「ここで出会った作品・作家さんをきっかけに、続きを自分の街の新刊書店で買って本屋を作家さんを応援していただきたい!」とはっきり書かれている。
<PalloBoxさんの棚>
ほとんどの本に感想やおすすめコメントが書かれた紙が巻かれている。さらには将棋関係の本に特化していたり。
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よし、やっぱり好きな本だけもったいがらずに置いていくことにしよう、と決めたのだけど、そのあとにも、ちょっと引っかかることがあった。
大体のケースで、その本が好きだということは、その作者も好きだということが多い。
こんな棚でやってます! とTwitterなんかで宣伝したとして、自分の新刊ではなく古本の宣伝をされているのを見たとき、作者としてどうなんだろう、と思った。
自分だって、好きな本の作者が潤って、またいい物語や本を生み出してほしいと思う。そういった意味では普通の新刊書店で本が売れたり紹介されたりしたほうがいいに決まっているのではないかと思うと、いい古本が入りましたぜ、ってなんか言いづらいなあと思ったりもするのだった。
心から応援したい漫画や本を並べたいというのに、それがなんか矛盾するようなことになったとしたらどうなんだろう、とまた悩むのだった。
でもそうしたら逆に、ブックオフや古本市場などは別格として、世の古書店の存在はどうなるんだ、ということにもなってしまう。
そんなことを考えて、ここが妥協点かなと思われる理屈を3つくらい考えた。
・続き物の1巻だけ置いて、試し読み状態として位置づける
・書店では売っていないなど、もうほとんど新刊が流通していない本を扱う
・出会いのきっかけとしての古書なので、気に入ったら同作者の既刊を新刊で買って! という言い訳をする(いや、本当にそうなんだけど)
というところを基本にすれば、なんとかスレスレなんじゃないか。
試し読み方式の棚はもうすでに「みつばち古書部」の棚には存在した。なかなか心憎いラインナップで続き物コミックの1巻だけがずらっと並べてあり、おすすめの本への入り口を提供していた。
そして古書店では大体少し古い、新刊書店では扱わなくなってきたような本を売っていて、またそういった本が購入できるような場として機能しているような気がする。もしかしたらそこが、一般的な古書店の世間との妥協点なのかなあとか考える。
もちろん「みつばち」の棚の多くはそういったところを絶妙に攻めているものばかりのような気がする。
まあそれでもいつかは野望として、新刊を扱いたいという思いは当然ある。
「みつばち」の棚にだって新刊を並べていいことになっているし。
そのあたりも少し追求したりしていて、Foyer(ホワイエ)という取次サービスは、1冊から新刊を仕入れることができるらしく、資料を請求した。
大雑把に考えると、そんな難しいこと考えずに売れたらいいんだよ、というのもまあ古書店から見た正義なのかなとも思う。
そこは、なんかずっと、グダグダと考えながら、結局よくわからなくなってしまい、混乱した状態のまま自分の棚に並べる本を考えていったのだった。
でも、本当に古書店の人ってそういったことを様々悩みつつ、それをどう採算を成り立つようにしているんだろうと思う。
あとから店番に入ったりしてわかったのは、やっぱり棚の本は売れてほしいし、売れるとうれしい(そしてちょっと助かる)ということだったりするのだった。
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