自分の知っているバートルビーと―書記バートルビー/メルヴィル

法律事務所で雇い入れたばかりの書記のバートルビーは、難しい文書の複写をほとんど休憩もとらないくらい勤勉にかつ正確にやってのけた。

ある日所長が、書類の照合を一緒にやってくれないか、と彼に頼むと、「わたくしはしない方がいいと思います」と言って断ってしまった。「どういうつもりなんだ?」「この写しの照合を手伝ってほしいと言ってるだけなんだよ」と言っても、「しないほうがいいと思います」とだけ言って自分の机に引っ込んでしまうのだった。

なんか理由があるかもしれないし忙しいからまた今度追求しよう、ということで所長はそれを一旦棚上げにするんだけど、どんな方法で言ってみたところで、バートルビーは「しないほうがいいと思います」と言って他の仕事のすべてを拒否し、複写の仕事だけを(しかし他の同僚よりも勤勉に)するのだった。

そして、そんな日々が続いたある日、彼は突然全ての仕事をやらなくなり、オフィスから窓の外を眺めて一日をなにもしないで過ごすようになる。仕事をするように言っても「しない方がいいと思います」と答えるのだった、というような話だ。そのあとバートルビーはいくつかのことがあり、非業の最期を迎えることになる。


社畜で自己責任論に塗れた私達ならば、働きもしない人間なんて追い出してしまえ、と思うかもしれない(バートルビーの仕事は歩合制なので働かなければ無給のようだ)。自分もどちらかと言ったらそういった気持ちを代弁するための登場人物に心を寄せる瞬間がないわけではなかった。

でも、なんでこの法律事務所の所長があっさりとバートルビーを馘にすることができなかったというと、この「わたくしはしない方がいいと思います」という言葉の、なにか確信めいた、言われているこっちの未来を予測するかのようなニュアンスにあるのだと思う。


僕は読みながら、この話を寓話として捉えることが終始できなかった。それは、身近にバートルビーのような人間がいるからだ。読みながら同僚の、そんな彼のことをずっと考えていて、もうこれは、彼そのものじゃないか、と思っていたのだった。

今もその彼は、職場の全員が彼の担当だと思っている業務を「自分がするべきことじゃないんで」と言って断っている。するべきかしないべきかについては、バートルビーと同じく、会社が決めたものに沿っているのではなく、自分が決めたものに沿っているようだ。

話の中に、「先例がない形、また過激なほど非合理的な形で断定されると、断定された側の人は、どんなに徹底した信念を持っていても、たじろぎ始めてしまうものです」と書かれているけれど、おかしいな、これだけ自身を持って言われるとなにか自分たちの方に問題があるんだろうか、自分のなにかが決定的に間違っているのかもしれない、と疑い出してしまう。

実際に今、そうやって彼自身というよりは私達自身が彼にできることを探し続けている。

彼が納得できるような職場でのルールの策定とか、微細な部分に渡る職員同士の業務分担とか。

彼にも何度か、仕事上でなにか悩みなどはないか聞いたことがある。すると彼は「特にないですね」と言った。


しかし今のところ、彼はほぼバートルビーだ。

バートルビーは彼なのではないかと思った。

僕が仕事を精神的な面で休むことになる要因となったのは、このバートルビーのような彼だ。

それでも僕自身は、自分自身のやり方や理解、アプローチになにか問題があり、解決すべき部分がいくつでもあると思っている。

まるでバートルビーの雇用人が、彼自身になにかを鏡写しにし続けられ、その自らの内面にあるなにかを恐れながら自らの家の一部の提供を申し出てしまうように、自分もまた休職中の自宅の中で、彼に対してできることはないだろうかとまだ考えている。

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