「猫恋人」は、猫と、猫を飼っている恋人たちの物語だ。
そうやって説明すると、猫が出てくる恋愛漫画だとたぶん思われるんだろうなと思う。でもそうじゃなくて、乱暴に言えば「猫」と「恋人」が出てくる漫画だ。
この際正直に言うと、自分自身もビームに掲載される度に、これは恋愛漫画じゃない、とか、やっと恋愛漫画になっただとか勝手なことを言っていた。
なんていうか、猫がちょろっと出てきて甘かったり苦しかったりする恋愛漫画を読みたいんだったら、他の人を当たってほしいと思う。
この漫画の本当にすごいところは、人間が猫と一緒に生活し、人生を生きるってことを正面から描いているってことだ。
話は変わるけど、今うちで飼っている猫は15歳になる。43年生きている中で15年も一緒にいて、あと数年で家族よりも長く一緒にいることになる。
その間に20代から40代になった自分のことを、猫はずっと見続けてきたわけだ。
毎日仕事に行って帰ってくる、テレビを見たり本や漫画を読んだりする、疲れてもうやだと言ったり、死にたいと思ったり、病気になって寝込んだり、機嫌良く誰かを部屋に連れてくる日々が続いたと思ったら急に来なくなったり、そんなことを、猫はずっと間近で見ている。
主人が歳を重ねて体型も変わり、髪の毛も少し薄くなりながら人生の折返しを迎えた頃、猫はもっと早く老いて、死に近づいている。
猫はペットだと言われるとそうなんだろうと思う。かわいいしそりゃあ癒やされる。でも、理解されないかもしれないけど、そんな簡単なことじゃなかったりもする。
イシデ電がかつてビームで連載していた「逆流主婦ワイフ」に、「猫恋人」に通じるような印象的な話がある。
妻を亡くして生きる希望をなくした男が、自宅で自殺を図ろうとする話だ。
七輪に布団をかぶせ、目張りをしてそこに睡眠薬を飲んで入る。そんな時、縁側から部屋に侵入した1匹の子猫が、布団の中にもぐり込んでくるのだ。
子猫のために死ぬことができなかった男は、その猫を飼うことになる。
そんな出来事を知らずに実家を訪ねた娘は、子猫を見て、「あと20年死ねなくなる」と父に言うのだった。
この話には、亡き妻の思いが空を駆けて1匹の子猫を連れてくる、というすごい仕掛けがあるのだけど、この荒唐無稽な出来事が馬鹿馬鹿しいどころか、直接読み手の気持ちを揺さぶってくるのだ。
そんな「20年死ねなくなる」という言葉を、飼っている猫を見ながら度々思い出す。
猫を飼うということは、ペットとしてとか、猫かわいがりとか、そんな言葉のように単純に表せるようなものじゃない。
人は人として必死に生きてきて、そして猫も、猫として必死に生きている。別に猫自身は人間のペットになるために生きているわけじゃない。
そもそも混じり合うはずもない思いを持ちながらも、それぞれの一生の途中を、一緒に生きていく。
そんな視点で猫と人間を(そして人間と人間を)描いている漫画って一体どこにあるんだろうと思うと、僕はここにしかないと思ってきた。
そうしてかわいい猫に振り回される人間たち、というところから一段深い実感の中でイシデ電の猫漫画は描かれていて、それらが最もまとまった形で結実したのが「猫恋人」なのだと思う。
「猫恋人」に収められている「猫の寒恋い」は、拾った猫をきっかけに知り合った2人の女性の、高校生から徐々に友人になって、恋人になって、そして一緒に漫才コンビになって同居をして、そしてそんな時期を通り過ぎてお互いの仕事に差ができて、恋人でも友人でもなくなってしまったような、そんな17年間の傍らをずっと生きてきた猫、「カオハンブン」の最期の日々を描いた物語だ。
高齢で治療も中止されたカオハンブンは、自分で食べることもできなくなり、ひとりで苦しんでいる。猫の世話を任されたコンビの売れない方の里田は、そんな猫を見ながら、つけたテレビに映る、元友人で、元恋人で、現相方のヒカルを見る。
カオハンブンは自分で食べることもできず、骨ばった体でただ横たわっている。その姿を見ながら、里田はこれまでの17年間のことを思い出す。
とても特徴的なのは、そんな猫のことを作者は同情的には描かないってことだ。
その一方で、この2人と1匹の関係を、友情とか恋愛とか、そういったことよりももっと根源的な、共闘関係のような強いシンパシーで描いていく。
ほどなくして死んでしまったカオハンブンを前にして2人は泣いて、そして笑って、また今日も舞台に上がる。
誰かがそうだったように、これからも自分たちは必死で生きていく。そういうことでしょ、って言われているような気がした。
しかし、イシデ電に「猫」と「恋人」を描かせようというコミックビームの思惑は、本当に鋭いところを突いてきたなあとも思った。
それまでの最新刊だった「晴れ間に三日月」も、三角関係の物語だったのに関わらず、恋愛に関する感情はほとんど描かれていなかった。
だからこそ、2人の女性の友情を激しくも鮮やかに描けたのだと思うのだけど、そんなことも踏まえて、イシデ漫画にもっと普遍性を持たせようということだったのかもしれないと思う。
確かに、猫を飼ったことのある人間には刺さりまくる漫画であっても、そうじゃない人にとってはどう読まれているんだろう、とは思う。そこは、客観的には全然わからない。
その部分に不安があるからこそ、多くの猫漫画は「猫かわいい」だけで押し切っているのかもしれないし。
イシデ電の漫画は、どちらかといえば「なんとなくいい感じだよね」という漫画じゃない。マンガ的表現を使いながら、一気に読者の心臓を掴みにいくようなタイプだ。
さっき言った「逆流主婦ワイフ」がかなりの時間をかけて再評価されたように、みんな早くそのすごさに気付いて掴まれたらいいのにと思うのだ。(う)
猫恋人 / イシデ電
ビームコミックス 994円
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