1日は朝から仕事だった。
カバンに母の家で昨日出た食べ物を適当に詰めたものを入れ、読みかけの漫画も入れる。
体調は優れないものの代役もいないし、なんとか24時間やり過ごそうと思って家を出る。
隣駅のホームには朝からそこそこの人がいてかなりの人がスーツケースを引いていた。この町に帰ってきたのか、それともこれから何処かに行くんだろうか。
駅前のコンビニで食料や水分を買い足して、小走りでバスに乗る。
元旦朝のバスは乗客があまりにも少なく、途中何度も時間調整のためにバス停で時間を潰していた。
職場で今朝までの勤務の同僚と申し送りをし、当直に入る。
通常の仕事の合間に色々とやろうと思ったのだけど、そこまで体調も良くないので、ほとんどはかどらない。
こういった当直の時間に仕事をたくさんする人間もいるけれど、そもそも当直というのは「常に仕事をしてはいけない時間」なので、いつも割り切ってなにもしない。
持ってきた「かみまち」の上巻から読み始めるも、予想していた通り重たくのしかかるような内容で、時折ページを閉じる。
給湯スペースにマンダリンオレンジを乾燥させたものがあって、これはなんだろうと思って同僚にLINEをしたら、「Aさんが持ってきてくれたので使ってもらっていいですよー」と返信があった。紅茶に浮かべたりして飲むらしいのでそうした。
午後になってきて当直の対応も落ち着いてきたので、ちょっと昼寝でもするかと仮眠用ベッドに横になっていたら、床からゆっくりと左右に大きく揺れるような感覚があった。
ついに目眩がしてきたかと思いながら起き上がるも、大きな揺れはなかなか収まらず、更に大きな波が来ることに恐怖したけれどそれはなかった。
震度を見ようとしてテレビをつけると緊急地震速報が出たあとらしかった。
そのあとは、棟続きの設備保守の宿直の人に巡回を依頼したり、周りの人に状況を聞いたりしてから運用テスト中だった社内SNSで上司や保守部門に報告をしたり、地域の防災システムが災害対応モードに切り替わったのでそれに対応したりなどした。
友人などから電話などの連絡も来ていたけれど、それらが終わってから返信した。
余震などの情報収集のためにNHKをつけっぱなしにしていたんだけど、津波への避難の呼びかけと現地での余震、自分の住んでいる地域への誤報や火事の映像と、画面の中では次々と状況は変わっていき、それをただずっと見ていた。
こっちに帰省している新潟在住の妹は、交通機関が止まっていて、Uターンを1日延期したと連絡があった。
去年は買収により悪化したTwitterの自治やコンテンツモデレーションが更に瓦解してしまった感があり、タイムラインを見ることで心が酷くなることが多くなってしまった。
ただ情報の速さでTwitterはとても優れているので、地震のあと最近では珍しくちゃんと投稿を見ていた。
でも、どんな情報でも役に立つ可能性があるならば流通させていった方がいいのか、なんの裏付けもない情報を安易に氾濫させないほうがいいのか、見ていてとにかく不安にばかりなるのだった。建物の下敷きになっていたり、孤立したりしているとして大量の住所と名前が流れてくるけど、これを一体どうしたらいいんだろうとか。
次の日の朝まで仮眠の時間も含めてずっとテレビはつけっぱなしだった。
仕事を引き継いで職場を9時すぎに出た。
一旦家に帰ってずっと寝て、夕方からまた母の家に行った。
正月で妹も帰っていて、できるだけ3人でいるという機会があった方がいいと思ったりする。
妹がとんねるずのスポーツ対決みたいなやつをつけていて、できればNHKをずっと見ていたかったけれど駄目だった。
スポーツなんでまあ見ることはできたけれど、まだテレビを見続けている世代、自分くらいの年齢の中年以上が喜んで見そうな安定したくだらなさだなと思ったりした。いつになったらゴルフって絶滅するのかな、とか思いながら手元のスマホで「ゴルフ 終了」とかで検索してみたりした。
3人でまたトランプをして、ここ数年全然勝てていなかった母が今年は何故か調子が良く、いい気分で勝っていた。
夜少し遅い時間に、「今年もよろしく」と今更ながらに言って母の家を出て、駅まで15分くらい歩く。夜道をまた歩きながら、今年の目標を考えなくちゃいけないな、とか、今年はできるだけ一人で過ごしたいとか、そんなことを思った。
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