昨日は1ヶ月ぶりくらいにシェア型書店の店番に入った。
最近はあまり休みがなくて日曜日も貴重になってしまっていて、店番を入れていたことをちょっと後悔してもいたんだけど、レジに座って釣り銭を数えたり自分の棚の売り上げの記録をつけるとか今後の活性化策を考えたりとか、空いた時間に他の人の棚にあったずっと読もうと思っていた本を買って読んでいたりとかしていたら、とても落ち着いてしまった。
仕事でも当直とか日直とかをやっているのでそういった時間は慣れているし、逆にいくらでもひとり遊びはできる方なので好きなくらいだ。
日曜日だからといってお客も多くなく、暑すぎるということはあるんだろうけどもともとそんなに大繁盛するというようなものでもないのでのんびりした感じだった。
でも、なんとなく女性の店主の人が店番に入っている日の方が人の出入りが多いような気もする。特に男性が。それはいいようで大変だなと見ていて思うこともあるのだったけど。
自分の棚には昔作ったかつての飼い猫うりさんの写真集が置いてある。
二十代くらいの男女が来て、その写真集をめくりながら散々楽しそうに語ってから、なにも買わないで店を出て行った。
それでも、明らかに本好きだなとわかる人が古本にしてはちょっと高いかなと思うようなものを買っていったりと、いいこともあったりした。
店番をしながら読んでいたのはティリー・ウォルデンの「スピン」だった。
フィギュアスケート競技に打ち込んだ十代を描いた自伝だと言えば簡単なんだけど、とにかく最初から最後まで息苦しさに満ちていて強く惹きつけられた。
学校や集団での人間関係、いじめ、身体の変化、両親との関係、同性との恋愛、自分の将来。全てが苦しくて、それでも起き上がって次の日を始めなくちゃいけない、というような話。
カタルシスなんてなにもなくて、でもこの物語はきっと読んだ誰かを救うだろうと思う。
ただ自分だけに起こってきた日常とその記憶が物語として全く知らない誰かに届いていくという事実は、何度経験しても勇気になるなあと思う。
この息苦しさは前に観た「ゴーストワールド」みたいだとも思った。毎日を溺れそうになりながらなんとか生きていく。
帰りの地下鉄に乗る前に気が向いてカレーを食べていたら、店員に横柄に振る舞っている男がいた。ただ新人アルバイトが違うテーブルにカレーの皿を置いただけだった。
それから地下鉄に乗り、私鉄に乗り換えてずっと各駅で地元に帰ってきた。
駅からの帰り道を街灯に照らされて帰りながら、ずっと続いていくと思っていたようなことが突然終わってしまう。なんかそんなことばかりだなとか思った。
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