ここ2週間近く、気持ちはかなり落ち着いている。
職場で多忙でなんの配慮もなくこのままだと再発するということを偉い人に伝えたのだけど、そのことでやっと少し、気配りをしてもらえるようになった。
前に、産業医と面談した内容を上で握りつぶされていた、みたいなことを書いたけれど、厳密に言うとちょっと違っていたらしいことはわかった。ただ、相談してもなにも変わっていない、という事実だけは本当で、再度そのことを産業医の先生から話してもらった。
そうしたら「最近どう?」という上司2人からの面談がセッティングされたのだった。
主治医の指示も変わらないのでまだ今のところ週3日出勤のペースは続いていて、合間に入れていた有給も全て尽きてしまった。これからは休むたびに給料がどんどん減っていく仕組みだ。
仕事の量が週3日分なのかというとそんなことはなく、週5-6日働いていた時と全く同じだ。
ほとんど自分一人でやっているような仕事で、根本的に肩代わりしてもらうことがなければ結局はなにも状況は変わらないのだと思う。
ただ、そんな状況にプラスして周囲の理解がなかった最悪の状態から、「気にかけてくれる」という要素が出てきた。それでも心理的にはかなり違ってきたのも事実だった。
毎日家の中もそこそこ暑くて、疲れてすぐ寝てしまうのでなにもできない。
だから毎日のように喫茶店に行って、本を読んだり書いたりなどしている。
かつては毎日のようにそんな生活をしていて、それは結構荒んだ感じもあったんだけども日記はやけに書けたりした。
久しぶりにそんなことを続けていると、本も読めるし色々と考えをまとめたりとはかどるもんだと思った。やはりこれはコワーキングスペースみたいな場所もありかもしれないと思った。
何日か前に橋本治の「結婚」を読み終えた。
ラストはまるで「桃尻娘」の榊原玲奈が利倉くんと結婚する前に女中を志願するような、
そんな感じの終わり方だった。
なんかでも、この「結婚」は少しずつ様々な問いが立てられて、それを自分のことのように考えることができるディテールにも溢れた小説なのだけど、結局最後に、結婚で自分になにをもたらすの? 自分の人生ってそれによってどんな風に変わっていくの? みたいなことに対する一つの答えが示されていたような気がする。
当然この小説の中には、結婚することが前提であったような時代があって、2人共教師だったという「進歩的」な両親のもとでもそれは例外ではなかったことが描かれている。
自分がこの年齢になるまで結婚しなかったのは、そんな両親を持った主人公倫子と同じように、あえてそういった前提なんて示されない環境で生きてきたことが大きいのかなとか思う。
この小説の中では、現代は理由がなかったら結婚できない、というようなことが書かれていたけれど、やっぱり「結婚生活」というものがもたらす生活の変化、みたいなもんじゃなくて、ああ自分はもう一度全く新しい人生を始めることだってできるんだなって、そう感じられるような変化を待っていたんだなって、古屋倫子の希望に満ちた顛末を見て、やっぱり思ってしまうのだったよ。
それでもって、深い考えもなくその次に近くにあった橋本治の「お春」を読み始めた。
ところがこれが江戸の乾物問屋の一人娘の縁談の話で、もーいったいなんなのよ、とか思いながらも面白く読んでいる。
すっごい通俗的な小説なんだけど、橋本治の説明臭さも時代物となると邪魔に感じないし度々クスリとしながらページを捲っている。
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