奈良で生きていく―大山海「奈良へ」

「奈良へ」の物語は作者の分身というべき漫画家小山陸から始まる。


そこから毎話パンクスやヤンキー、奈良の平和のために立ち上がるサラリーマンなどの話が点描的に続いていき、そのうちいきなりファンタジー冒険ものの作中作が始まってしまう。

一体どういうことなんだ……と思いながら読んでいくと、テンプレ的な冒険物語の世界が徐々に歪みを見せて、まるでそれまで語られてきた物語との融合を求めるように蠢き始めていく。


「クソみたいな世界」への絶望感を描く作品はここ数年ですごく増えてきたような気がする。
この作品でも、そんな絶望的な世界がひたすら語られていく一方で、気持ちのすくようなカタルシスがちゃんと用意されていて、そういった意味ではエンターテインメントでもある。

でも、そんなことよりももっとすごいのは、しょーもない諍いや失望なんかを繰り返しながら人間としてそこで生きていくということ全てを、奈良という土地や歴史が包み込み底支えしているってことが、作品全体のつながりを持って読後に一気にわかってくるっていうところだ。

寺社や仏像だけではなく、奈良県民の心の中に複雑なトラウマを残しながら消滅したあの奈良ドリームランドが物語の中核に据えられているのも、その奈良の忘れがたい共通の「歴史」のひとつだからだ。


読んだあとに思うのは、「もっと奈良行って仏像とか見て回らなあかんな」ってことだったりするのだけど、それってつまらない言い方で言うところの「希望」ってもんだよな、と思ったりした。

奈良に関わりのある人間、関わりがあった人間、関西に暮らす人間じゃないとここらへんはわからないのだろうか、とも思ったりするけれど、どうなのだろう。

奈良の歴史は奈良だけの歴史じゃないし、ということは奈良というものはこの国全体を覆っているのではないかとそんなことまで読んだあとに思い詰めてしまいそうになるのだった。

0コメント

  • 1000 / 1000